調布女子学生会館便り
調布女子学生会館便り
アルメニアからの留学生をお預かりしています
2024-10-24
実は今年二回もキャンセルされてしまった(近くの某医大生です)304のお部屋にアルメニアからの留学生が来られました。東京外国語大学の国際日本学部で日本について学んでいます。
なかなかお会いするチャンスもなかったりするのですが、先日外で立ち話したところ、「茶道などに興味がある」とのこと。茶道は私も膝を痛めるまではどうにかやっていましたが、なにしろ正座ができないので、すっぱり辞めてしまいました。その代わり、愚息が左利きで何かと不器用さをかこち、美しい所作を身に着けたいというので私の先生のところに通わせています。ところが、最近は研究と論文執筆などで習い事どころではなくなっています。(先生ごめんなさい)
お茶室の静かな空間、炭がばちっと鳴る音、ふつふつと鉄釜でお湯の沸く音、衣擦れの音、、そればかりの静寂のなかでいただくお茶はとても美味しいし、自身がお点前をするのも楽しいものです。まさに非日常。そんな空間から日本のことについてもっと深く理解し勉強をしている学生さんがいらっしゃると思うと嬉しいですね。私も茶道が大好きです。
興味があるなら、お能の鑑賞とかに誘ってみたいと思ったり。すると息子が「お能なんて俺でも眠くなるから無理だよ」と言うのですが、感じ方は人それぞれですものね。
さて、預かりものがあって取りにいらっしゃった時、可愛い蘭の鉢をいただきました。
お花をいただくなんて久しぶりで本当に嬉しかったです。しかもこんなに可憐な蘭。
どうやって育てたら良いか調べるしかありませんね。
久しぶりに俳句歳時記を紐解きました。蘭は秋の季語のようであの有名な一茶の句ものっていました。
蘭の香や異国のやうな三日の月
月の砂漠と異国情緒の蘭の花のかぐわしさも一瞬で匂いたつようではありませんか。
蘭の花、本当にありがとうございました
ハロウィンのお菓子を配りました
2024-10-22
今年は調布の花火大会は9月にありました。そのお弁当を見繕いに出かけた時、もうハロウィン用のお菓子の詰め合わせセットが売っているのに驚きました。
本当は、10月31日の死者の日のイヴがハロウィンなのですが、、、昔風に言うと、万聖節です。諸聖人の日という名前でも呼ばれます。
その万聖節のイヴのお菓子が9月から売っているなんて、、、。いつまでも真夏日が続く暑い秋でしたが、最近少しずつというかガクッと冷え込んだり体調管理が難しいですね。
実りの秋の実感もないままハロウィンですか、、。などと思いますが、たいていの学生さんはイベントが好きじゃありませんか?ディズニーランドもこの時期ハロウィン一色でしょうし、でも昔ほどディズニー好きの学生さんもいらっしゃらない気がします。チケットも値上がりましたしね。
ということで、今年も変わり映えのしない飾り付けと、ちょっぴり奮発したお菓子でおもてなしをすることに。
一人一個ずつ持って行ってくれると良いのですが。去年だか、もらってないうちになくなってしまった人もいましたね。なので、一つだけ余計に買っています。
ハッピーハロウィンなどと言いますし、よくわからずに仮装する日だと思っている人もいるようで、数年前は渋谷などではハロウィン前の祝日などは酷い混乱状態でした。その狂乱のような時期を経て、コロナ禍に突入し今はどうなのでしょうね。
今度の土日は仮装する人がいるのでしょうか。わたしは外出予定なのですが、ちょっと恐ろしいような、、。
子供のころは学校でハロウィンパーティーがありました。リンゴをプールに浮かべてかじりついて取るという競技があったり、みんな仮装に趣向を凝らしたりしていました。小学生のころですけれど。
息子が幼稚園で英語教室に通っていた時は、先生がご近所の方にお願いして、「trick or treat!!」と子供たちがお菓子をねだり歩けるようにしてくれました。
その先生にもたくさんお礼したいことがいっぱいあります。ただ、まだ息子がちゃんとカタがついていないので、、ちゃんとしたらまた、報告かたがた、お礼に行きたいです。
いろいろなことを思い出させてくれる、ハロウィンです。やっぱり何かにつけイベントがあるのは良いことなのかもしれません。
台東薪能に行ってまいりました
2024-08-01
昨日の昼間は晴れて、酷暑日でした。
去年も台東薪能を観たのですが、野外の暑さ、また火が入ることによって増々灼熱の暑さだったような、、、そんな思い出があって覚悟を決めてから出かけましたら、雨の予報があったので浅草公会堂での舞台でした。残念のようなホッとするような。公会堂は涼しくて快適でした。
番組は、能「清経」、狂言「蝸牛」、能「一角仙人」です。
清経は二十歳そこそこの笛の名手の若公達、いよいよ平家滅亡の刻を知り、若妻に遺髪を残して入水し、その遺髪を届けた淡津三郎が妻の驚きと悲嘆、拒絶に遭い、八幡宮に納めてしまう。その後、妻の夢枕に立った清経の霊が「なぜ鬢髪を受け取らなかった」と妻をなじり妻も「(無事に還ると思っていたのに)約束が違う」と嘆きなじることから清経の舞がはじまります。
題材からして静かでそれこそ幽玄な内容なのですが、清経の舞の足の音が時々ダン!と鳴り響き、若いみそらで儚くなるべき運命の悔しさ、恨みなども込められているように思えましたが、若い男の面をつけた観世善正さんはすっかり美少年に見えるし、少年と少女のような若い恋人たちの悲恋であり、夢のごとし平家の栄華と没落の悲哀を感じます。妻の動きは殆どないのですが、清経が舞い終わり去っていく時に立ち上がり見送ります。美しい若女の面と中将の面が若々しく、それが哀しみを誘う演目でした。面をつけるだけで、なりきれる能楽師が素晴らしい。
狂言もバカバカしくもわかりやすく面白く、観客から笑いが出ました。
最後の一角仙人ですが、龍神を封じ込めた一角仙人をだまして、龍を解放し雨を降らせたいと美女を送り込みます。施陀夫人です。勧められる酒に手をつけてしまった仙人は龍を逃がしてしまった、という狂言にも通じるような面白可笑しい演目です。
もちろん私は観るのは初めて、台東薪能でも初めての演目だそうです。
まず目を惹いたのが、運びこまれる大道具の多さ。そして輿に乗って現れる美女の美しいこと。
華々しく、華麗でちょっとおかしなお能はとても素晴らしかったです。清経との対比も良かった。
写真はフォトセッションで撮らせていただいた、施陀夫人と振られてしまう一角仙人です。なんだか可笑しいですよね。
ピアノリサイタルに行ってまいりました
2024-07-16
7月12日の金曜日に、京王線初台にある、東京オペラシティでのピアノリサイタルに行ってまいりました。
今回で3回目なのですが、前回のショパンコンクールで反田さんと同じ二位受賞した、アレクサンダー・ガジェブさんです。実はガジェブさんとは、イタリアのパドヴァのコンサートで、ベートーヴェンのピアノコンチェルトで出会っていたのです。ですから、実質、4回目のコンサートですね。
ショパンコンクールの後のリサイタルは決まって二分間の暗い会場での沈黙という儀式をしてから、いつのまにかガジェブさんが弾きだす、、という流れになっており、今回もそのように始まりました。音楽は言葉である。という、ガジェブさんのメッセージも同じく流れます。
この言葉、のくだりで、いつも私はヨハネの福音書の始りを思い出してしまうのです。
今回の曲目は、ベートーヴェンの7番交響曲の第二楽章をモチーフにした現代作家コリリアーノ(失礼ながら存知あげなかった)のテクニカルな幻想曲に始まり、継ぎ目なしにリストが編曲した、そのベートーヴェンの第7番交響曲第二楽章を弾かれていました。この楽章は有名ですから、ピンとこない方も聴けばわかると思います。なんというか、少し不吉な感じもする、短調の曲ですが、言うに言われぬ美しさがあり、だからリストも編曲したのかと思います。
リストの作品は続き、ショパンやポーランド紛争でなくなった朋友のために作曲した葬送曲には、ちょうどショパンの英雄ポロネーズを短調にしたようなフレーズが出てきました。
スクリャービンの練習曲を数曲のあとに続けてソナタ黒ミサ。
なんというか、世界で起こる戦争を嘆き、祈るようなプログラムだったと思います。
暗い選曲が多かったですが、天井が高く、天窓のある、オペラシティのホールに透き通った音が登っていくような感覚がありました。
とても素晴らしかったです。調布からも気軽に行けますから、皆さんコンサートや演劇を楽しむのも良いと思いますよ。おススメです。
お能に行ってまいりました。
2024-06-10
昨日友人と国立能楽堂へお能の鑑賞に行ってまいりました。調布から40分もあれば行けるんですね。まあ、特急で新宿に出てから総武線で二駅ですし、駅からも近いですし。
昨日は狂言は人間国宝の山本東次郎さんが大名を演じる、「文相撲」とお能は観世善正さんがシテの「鸚鵡小町」でした。
山本東次郎さんはお年を感じさせない張りのある声で、軽妙な大名を演じていて、流石でした。
鸚鵡小町は、年老いた小野小町が今にも倒れそうな様子でとぼとぼと歩き、帝からの使者の前で杖をつきながらも舞うお能でした。徹底的に静かで派手さ、美しさのない演目ですが、きっと若い人には枯れた媼の演技はできないのだろうと思います。能楽師の凄いところは、面によって可憐な乙女にもなれるし(本当に初々しい若い女性にしか見えません)、鬼になったり老女になったりできるところですね。
昨日の演目はやや難しい上級者向けなのかと思いました。
国立能楽堂の凜とした佇まいも大好きです。
10年ほど前に、能装束の裂で作った巾着袋を母にお土産に買ったことがあります。母のお友達がプレゼントしてくれた名前入りの根付もついていましたし、読みかけの本をその金襴の袋に入れて荼毘に付したことを思いだしました。
昨日は何人かの旅立たれた御恩のある方を思い出した日でもあります。